鎌倉の銭新井弁天の福銭
◎名称:絵銭 銭洗弁財天
◎発行国:日本
◎発行年:昭和の時期
◎サイズ:直径21mm、厚さ1.1㎜
◎重さ:3g
◎品位:黄銅
銭洗い弁天(鎌倉)について
鎌倉にある「奥宮」は鎌倉五名水の一つで、銭洗水が湧き出る場所です。
銭洗弁財天は、鎌倉で金運を上げるとされる有名な金銭パワースポットです。
その起源は、1185年(文治元年)巳年の巳の月・巳の日に、水神・宇賀福神が源頼朝の夢に現れ、「この地の水で神仏を供養することで平和が訪れる」と伝えたことに由来します。
その言葉に従い、源頼朝が神社を創建しました。
その後、源頼朝の信仰を引き継いだ鎌倉幕府の第五代執権・北条時頼は、奥宮の霊水で銭を洗って一族の繁栄を願ったことから、「お金を洗うと増えて戻ってくる」という民間伝承が生まれました。
宇賀福神社について
銭洗弁財天宇賀福神社は、神奈川県鎌倉市佐助に位置する神社です。
境内の洞窟にある清水で硬貨を洗うと増えるという伝承から、銭洗弁天の名で親しまれています。
創建の由来は、1185年(文治元年)に、宇賀福神が源頼朝に夢でお告げをし、神仏への供養が行われたことが始まりとされています。
銭洗い弁天・宇賀福神社の歴史について分かりやすく解説
昔々、源頼朝という人が、ある年のある日に夢を見ました。
その夢で、宇賀神という神様が、「この地の水で神様と仏様をお祝いすれば、世の中が平和になる」と教えてくれました。
そこで、源頼朝は特別な水が出る岩壁を見つけて、その場所にお祠を作って宇賀神を祭りました。
その後、別の年に北条時頼という人が、その特別な水でお金を洗って、家族が幸せになるように願いました。
それがお金を洗う始まりだと言われています。
宇賀神と弁財天という神様が一緒になって弁財天と呼ばれるようになりました。
昔は、相馬天王という神様の下にあったけれど、明治時代に神様と仏様を別々にすることになり、相馬天王は八坂大神という名前に変わりました。
そして、この神社も祭る神様が市杵島姫命になって、1970年に独立しました。
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