そもそも絵銭って何?
「絵銭」とは、いわゆる玩具の銭である。
民俗史料や民芸品として、銭貨の形式を模したものであり、通貨としては使用されていないものである。
そのデザインは、七福神や駒曳き、富士山、家紋など多岐にわたり、絵を刻んでいるため「絵銭」と呼ばれるが、小型のものは寛永通宝などの銭に紛れ込むなどして流通したため「えぜに」とも呼ばれる。
絵銭の起源は「六条銭」という説があるが、現在では江戸期のものであるというのが定説である。
中世末から渡来銭を模造して私鋳していた技術者がいたが、1670年に寛永通宝以外の銭貨の流通が禁止されると、彼らはその技術を流用して絵銭を製造するようになったという。
江戸期には銭貨の統一が進み、旧来の銭貨は流通量が減っていった。
そこで、一部の人たちは絵銭を収集の対象とし、1670年以降はさらに収集が盛んになった。
「駒曳銭」「恵比寿銭」「大黒銭」などが記載された『和漢古宝銭之図』(1694)には、絵銭も収集の対象になっていたことが記されている。
寺社が参詣者に頒布するお守りとしても製造され、後には子供たちの面子遊びや石蹴りに使用する玩具としても製造されるようになった。
その他、新築に際しての「上棟銭」、各種慶事の「記念銭」にまで絵銭の範囲は拡大した。
絵銭の種類
絵銭の分類は確立しておらず、機能や編年の研究も途上である
絵銭を大まかに分類すると以下の通りである。
「鏡屋銭」
とは、京都の鏡職人が余った材料で製造された絵銭であり、家紋が描かれたものが多くを占めていた。
「浅間銭」
富士山を神格化した神を祀る浅間せんげん神社の信徒が身に着けた護符で、描かれている富士山は必ず噴火しているとされています。
宝永大噴火(1707)以降に製造されたと推測され、読み方については「あさません」とする説もあれば、「せんげんせん」とする説もあります。
「穴一銭」
穴一という遊びに使用されたもので、地面に掘った穴に銭を投げ入れ、先に入った銭をはじき出せばそれを獲得できるという博打に由来するとされています
福の神や宝珠を描いたものもあり、これは絵銭が厭勝銭から発展してきたことを示すものであるとする説もあります。
「紋切銭」
歌舞伎役者の役者紋が刻まれたものが多く、漢字1字を刻むものもあります。古銭研究者の川田晋一によると、紋切銭に描かれた紋と頭文字が一致するのは1750年から1810年の間に集中しているとされています。
「打印銭」
鋳造ではなく打刻によって絵柄を刻む絵銭で、鍔師の関与が見られます。
「駒曳き銭」
馬を描いた絵銭で、境界突破や異界往来を象徴する馬を神の乗り物として表現しています。
「五位堂銭」
奈良県北葛城郡五位堂村で江戸末期から明治中期にかけて製造された鉄製の絵銭で、花をモチーフにしたものが多い。
「面子銭」
玩具としての絵銭の中では初期に発生したとされ、厚みが大きいことが特徴です
「念仏銭」
「南無阿弥陀仏」という文字列を刻んだものである。文字が主体のデザインでありながら、絵銭と呼ばれる。浄土宗や浄土真宗の信徒が身につける護符として用いられた。17世紀半ば以降、六道銭としても使われた記録がある。また、直径が寛永通宝の2倍以上ある「大念仏」と呼ばれるものも存在する。
「題目銭」
「南無妙法蓮華経」という文字列を刻んだものである。文字が主体のデザインでありながら、絵銭と呼ばれる。六道銭としても用いられた記録がある。