発行国 :大日本帝国
・発行時期 :明治十七年(1884年)
・価格 :一厘
・直径(実測値):約15.8mm (6枚目の写真参照)
・厚み(実測値):約0.7mm (7枚目の写真参照)
・質量(実測値):約1.0g (8枚目の写真参照)
◎名称:一厘銅貨
◎発行国:日本
◎発行年:1884年(明治17年)
◎サイズ:直径15.75㎜
◎重さ:0.91g
◎品位:銅98%、錫1%、亜鉛1%
◎発行枚数:16,009,130枚
【一厘銅貨について】
一厘硬貨は、明治時代の日本で流通していた硬貨の一種です。
1厘は1円の1000分の1であり、1銭の10分の1に相当します。
日本の造幣局によって近代的な技術で製造された貨幣の中では、最も小額のものです。
しかし、江戸時代に発行された貨幣を明治時代に円・銭・厘の単位に合わせて通用させた例もあります。
その代表例が寛永通宝銅一文銭です。
しかし、いずれも1円未満の価値を持つため、1953年(昭和28年)の小額通貨整理法により通用停止となり、現在は法定通貨としての価値を持ちません。
ちなみに・・
1円=100銭
1銭=10厘
です。
明治10年の時、8厘あれば「掛け蕎麦」「盛り蕎麦」が1杯食べれたと言います。
一厘銅貨は新貨条例によって発行された貨幣の一つです。
1871年(明治4年)の新貨条例の施行当時、金貨・銀貨は製造が開始されましたが、銅貨の製造所が完成していなかったため、最初のデザインの一厘銅貨は試作されただけで、実際の流通用としては製造・発行されませんでした。
その後、1873年(明治6年)にデザインが改定された一厘銅貨が発行されました。
他の銅貨には竜図(吽竜)が使われていましたが、一厘銅貨は直径が小さすぎて竜図を描くことが難しかったため、代わりに菊紋が採用されました。
国際化に対応するため、表面には「1RIN」という表記がありますが、量目は当時の他の銅貨と比べて異なっています。
一厘硬貨は、当時主に流通していた寛永通宝銅一文銭と比べて製造枚数が少なかったです。
明治16年銘と明治17年銘が比較的多く製造されましたが、やはり使い勝手が悪かったため、竜一銭・半銭銅貨が1888年(明治21年)まで製造される一方で、一厘銅貨は1884年(明治17年)に製造が中止されました。
明治6・7・8・15・16・17年銘が一般的に見られますが、中でも明治6年銘と明治8年銘は比較的少ないです。
他にも明治9・10・13年銘がありますが、これらは製造枚数・現存枚数が非常に少ないため、古銭としての価値が高いです。
製造工程が他の硬貨と異なるため、直径も標準寸法と異なる場合があります。
なお、明治25年銘はシカゴ博覧会用に2枚だけ製造されました。
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