とっても気になるユニークなお金(?)台場通宝の真実は??
「台場通宝」というのは、幕末(嘉永頃)に使用されていた(所説あり)、四角形の通貨で現在は貴重な史料として扱われています。
この通貨が登場した背景には、江戸時代の経済状況やお台場の築造など、様々な要因が関係しています。
「台場通宝」については、謎が多く、未だに解明されていない点も多いです。
しかし、様々な研究により、「お台場築造時に人足に日当として支払われたとする説」及び、「幕末の鋳物師が作ったダミー絵銭説」の2つの主な説が存在していることが分かっています。
「お台場築造時に人足に日当として支払われたとする説」によると、お台場の築造にあたり、多くの人足が動員され、その報酬として「台場通宝」が支払われたとされています。
一方、「幕末の鋳物師が作ったダミー絵銭説」によると、幕末の鋳物師が、お台場の築造に関わることで得た情報を元に、自作の絵柄を施した偽造通貨を作成し、流通させたとされています。
1つ目の「お台場築造時に人足に日当として支払われたとする説」によれば、『品川町史』や『芝区史』などによれば、台場通宝は実際に使われていた通貨であり、その写真や記述が確認できます。
たとえば、『芝区史』には「普通の通貨で給料を支払うのは煩わしかったから、便宜上五十文、二百五十文の通貨を新鋳造した。
これが即ち台場通宝である」と記されています。
一方で、2つ目の「幕末の鋳物師が作ったダミー絵銭説」によれば、『港区史』や『古銭と紙幣』によれば、台場通宝は幻の通貨で、実在しないものとされています。
大正4年頃に東京本郷の鋳物屋、小田部市郎が創作したとされており、これを空想貨幣として古銭愛好家たちに売り出していたとされています。
さらに、『古銭と紙幣』では、台場通宝を本物と信じている人が少なくないとして注意喚起がなされています。
以上のように、「台場通宝」については実在する通貨であるとする説と、創作された空想の通貨であるとする説があり、その真相は定かではありません。
これらの説は、さまざまな資料により異なる見解が示されており、その歴史や存在については今なお謎が多い通貨と言えます。
空想貨幣作家・鋳物師~小田部市郎について
大正時代の魅惑の空想貨幣(絵銭)クリエイター、小田部市郎の世界
東京の本郷に、東京大学のそばに暮らしていた一人の鋳物師、小田部市郎。
彼は大正4年頃から、さまざまな独創的なアイデアを駆使して空想のコインを生み出し、夜市などでその作品を販売していました。
彼の個性的かつ多彩な作品群は実物を見ればかなりのリアリティで、当時惑わされた人も多いという。
小田部作の貨幣が実在したものと誤解した人も少なくなかったといいます。
現在では本物の小田部作品は、その稀有性から非常に希少で、見つけることは容易ではありません。
しかし小田部作を真似た貨幣(写しや作銭など)は数多く出回っております。
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